abulageとことば

語学いろいろやっていますがの才能はないです。

輝いている人が眩しすぎて直視できない。


「リクルートを選んだ理由」日本から逃げ出した”社会不適合系女子”が、UCLAで確信したこと

 

このお姉ちゃん。かわいい。

まあそれは置いといて、この方、アメリカでものすごく苦労しながらも、とても充実した学生生活、ひいてはとても充実した人生を送っているようだなぁ。

相当苦労したようで、なぜそんなに苦労することができるのか、リスクをとることができるのか、不思議でしょうがない。

彼女はその理由をこう語っている。(以下数行抜粋)

「生きるための強烈で納得のいく理由なしに、生きたいと思うことが不可能」という精神状況で幼少期を過ごしたからだと思います。だから、”生きる”ということに対して非常に強い執着があります。命に対して常に誠実でありたいと思っているから、普遍的な正しさを証明することが不可能な世の中においても、せめて可能な限り自分が正しいと思う選択にこだわりたいんです。

 

なるほど。彼女をココまで突き動かす、生きるための理由ってなんだろうな。

この記事に書いてあることは、生きる理由じゃなくて、リクルートを選んだ理由みたいだし…

 

それに対して

俺は生きるための強烈で納得のいく理由がない。

 

仮に生きるための納得のいく理由を固めたとする。

でも、ちょっとした苦労する機会に出会ってしまうと、「なぜこんなに苦しんでいるんだろう。こんなに苦しむ意味はあるのか?」という疑問が湧き出る。そして確立した生きる理由は脆くも崩れ去ってしまう。いままで何回もこういうことがあった。

ようは苦労ができないんだろうな。なさけない。

そして新たな生きる理由を探す。→理由を見つける→苦労に直面→なんでこんなつらいんだ。苦労する意味あるのか?→あきらめる→そして新たな生きる理由を探す。の無限ループ

こうして、確固とした生きる意味を見出せないまますごしてしまう。

 

 

文面からも写真からも伝わる、彼女の生き生きとした様子がまぶしすぎる。

 

彼女と比べて俺は…

毎日の仕事はつまらない、熱中できない。だからといって他にやりたい仕事があるかといわれると、特に無い。とことんハマるような趣味ももっていない。艱難辛苦を受け入れる努力もできない。それでいて、俺の人生これでいいのかと調子に乗ったことを毎日考えている。

 

彼女を俺を比較するともう、人生に対する真摯さが全然違う。天と地の差がある。

グランドキャニオンのような崖を、底から目の当たりにして、俺は絶望している。嘔吐感もある。震える。高いところから見える景色を俺も見たい。超うらやましい。だけど、俺はこの崖を上る勇気も力も根性もない。

 

アイデンティティってのががっちり固まっていると、ここまで突っ走ることができるのかな。彼女も「日本人として云々」みたいなことを語っているし。俺にはそのアイデンティティもない。

 

底辺でもぞもぞうずくまるしかないのかな。いやだなー。

でも居心地はいいんだよなぁ。うーん。

 

この記事で面白いことがもう一つ

twitterのつぶやきよりもfacebookのイイねが圧倒的に多いんだよね。

facebook使用している人は、みんな意識が高い。そして、いわゆるリア充。仕事もバリバリ頑張っている人たちも多い。プライベートも大勢の友達と遊びに行っている。みんな人生を有意義に過ごしているんだなぁと思ってしまう。そういう人たちは彼女の話が大好きなんだろうな。

おそらくtwitterは、facebookユーザーとは真逆の人たちが多い気がする。

 

この感覚は、いままでなんとなくでしか感じていなかったが、このイイねの数とツイートの数をみると、やっぱそうなんだよ。