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abulageの日記

字数無制限のつぶやき

沖縄語勉強法 考察

沖縄語

 

沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ

沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ

 

  この本を何回か読んだところ、ある程度の沖縄語は聞き取れることはできたし、ちょっとした物事であれば言い表すことができるようになった(はず)

 しかし、文法が体系的に掲載されていない部分があり、正確な沖縄語表現が全くできる気がしないのが悩みだ。特に重要になってくるのが用言(動詞、形容詞など)の活用であろうが、その活用表がとても頼りない。不規則活用する動詞の活用表は載っていない。語彙も少ない。

 それを補うように文法書を読めばがよいが、なにせマイナー言語な分、文法書が少ない。

 

実践うちなあぐち教本

実践うちなあぐち教本

 

  幸いなことに、この本のように文法を体系的にまとめた書籍は販売されているが、500ページ超もあり、はじめから読んでいくと挫折する。例文がとても豊富なので、例文を暗記しまくる戦法で攻めようとしても、CDはなく、また記載方法が確立していない言語でもあるので、どのように読んでいっていいのかわからない。

 

 俺が次にマスターしていきたいのは、とにかく用言の活用を覚えることだ。そのためには、用言を同時に覚えないといけない。これにより、単語増強も図れる。沖縄語マスターにまた一歩近づく。

 

 語学は慣れというが、慣れるような環境にないマイナー言語を習得するには、文法からじっくり攻めるのが有効だと思っている。機会がない分、テクニック(文法)で補う。

 

 文法といえば、学生時代に勉強した古文がある。

 古文は、実際の教育に導入されているので、もちろん文法規則もその指導法もしっかり整備されている、はずだ。

  あらためて、古文を勉強してみることによって、文法のどの部分を習得すればよいのかを研究するのも面白いかもしれない。古文と沖縄語はとても近い言語なのだから。

 

 あらたな趣味の発見だ。

 趣味:「古文から沖縄語に必要な文法知識を学ぶ。」

絶滅寸前のマイナー言語は独学するしかないのか…

沖縄語

 

語学の天才は、独学してでも身につけてしまうんだよな。

俺は独学では英語も中国語もできなかった。

でも、中国語に関しては、それを使う環境に身をおいてみると、

日常会話なら難なく使いこなすことはできた。

 

 

沖縄語もそういう感じで身につけたいが…どこでつかうんだろう。

今は沖縄でも使われてないぞほとんど。

沖縄語話せて日本語はなせないって人なんでいないし。

沖縄語話せる人がいても結局日本語で会話してしまう。

絶滅寸前マイナー言語をマスターするための環境

沖縄語

英語よりも中国語よりも身につけたいのが沖縄語

 

いままでは、変な義務感をもって、身につけようと意気込んていたが、

そんなものは無意味だと知って、それどころか沖縄語というマイナー言語を

時間をかけて身に付ける意味、価値がわからなくなってしまった。

 

最近になって、経済的価値とかイデオロギー的価値とか、文化多様性的な価値とかを

考慮することなく、ただ純粋に沖縄語という、このマイナー言語が好きなんだ

ということがわかってしまった。

 

こんなマイナー言語勉強するよりは、英語や中国語を勉強したほうが、金を稼ぐのに有利になるにきまっている。でも沖縄語に触れたいのだ。

沖縄人としてこの言語を話すべきという、義務感も持っていた、しかしこの「べき」論はあまりにも無意味と気付いた。どうでもいいだろう。(このことについては後ほど詳しく書こう)

文化的多様性もどうでもよい。言葉は生き物で、力ない言語は自然淘汰されてしまうし、言語そのもの自体もガラッと変わってしまうもの。自動翻訳がまだまだ実用段階でない以上、お互いの意思疎通を図る言葉は、できるのであれば統一したほうが、生きる上では都合がいいし。価値があっても食えなきゃ意味が無い。

 

それでも、それでも、沖縄語に触れたいな~と最近思っている。

 

んでぃ っゆしぇー、ぬーやてぃん ウチナーグチちゅかてぃ、はなしゆさん。

(当たとーみ?)

 

気まずい。

皆様本当に仕事に対して熱心だ。

常に、あの事業をやりたい、この事業をやりたい、と仕事談義に事欠かない。

 

俺もその場によく居合わせるのだが、居心地がわるい。

皆様本当に仕事熱心で、自分の理想や問題点があるものだから、議論に花が咲く。

 

俺は、聞くだけ。

非常によい意見や、夢などを聞いて、関心しきり。それだけ。

 

俺には話すことは何もないし。

仕事に対するモチベーションがとんでもなく低いから、夢も理想も持っていない。

現状維持で十分である。

新たな事業なんて立ち上げたら、余計な仕事が増えるだけだ。

給料だって増えないんだし。

そんなふうに考えているから、やりたい仕事なんて存在しない。理想もない。

議論についていくこともできず、非常に気まずい。

 

こんな状態がもう何年続いたかな…早く抜けださねばならない。

 

 

 

絶滅危機言語である沖縄語が使われたエンターテイメント

沖縄語

ありとあらゆる局面で国際化、それにより英語の重要性は増すばかり。


その一方で、沖縄語(方言、うちなあぐちと色々言い方はあるが、ここでは沖縄語と呼ぶ) などの少数言語はどんどん衰退する一方である。


沖縄語においては、条例を制定するなど県をあげて保護政策が取られている。


民間側でも、方言ニュースや沖縄語のカルチャースクール、沖縄語の参考書など、沖縄語の復興に向けて少しずつ基盤が整いつつある。


 しかし、これだけでは絶対普及しない気がする。真面目に普及させたいのであれば、この言葉を使ったエンターテイメントが必要だ。


と私個人的に思っているので、この記事では、沖縄語の面白さを堪能できるコンテンツ(abulage特選)をまとめまくる。


「すくちなタンメー」/ お笑いポーポー

沖縄でかつて放送されていたローカルお笑い番組「お笑いポーポー

現在でもyoutubeで幾つかネタを見ることができるが、その中でもこの動画は沖縄語がふんだんに使われている。

沖縄語を解さない方にとっては全く意味不明かも知れないが、

解る方が聞けば、その流暢で乱暴な言葉遣いの中に、面白さ、それだけでなく暖かさとノスタルジー、可愛さといったものも感じとることができるのではないだろうか。


じゅん選手の真骨頂!沖縄方言でドライブスルー注文/「こきざみぷらす」


じゅん選手は沖縄方言だけでオシャレメガネを買えるのか?/「こきざみぷらす」

数年前に沖縄で大ブレイクした芸人「じゅん選手」の動画

彼の動画は、「女々しくて」を沖縄語で歌っているものが大ヒットしたが、私はこの2つが好き。

今では珍しい、若い人の流暢な沖縄語をこの動画では堪能できる。

じゅん選手の言葉が凄いのは、余りにも自然すぎるところだ。沖縄語ネイティブであるオジーオバーが話すように沖縄語を話す。


今日はここまで

まだまだ面白いコンテンツがあるからドンドン更新していきたい。



俺史上最高の名文

これはいい文章!感動する文章!とかって全然わからないけど、すげぇって感じる文章、一つだけある。

知里幸恵の『アイヌ神揺集』の前書き。

この神謡集が書かれた背景や経緯を多少知っているからかもしれないが、読んだとき、本当に鳥肌が立った。名文ってこういうものなのかもしれない。

初めて文章で感動したものでもあるので大好き。

大自然の中で幸せに生きるアイヌ、その後の時代の流れに晒され、戸惑い、段々と滅び行くさま、それでも少しでもアイヌの物語を残そうという悲壮な決心、ヒシヒシと伝わる。最後は、うまくいえないが多少の臭みも感じる。

 

 

 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう。
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まどか)な月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく。
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮(あけくれ)祈っている事で御座います。
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます。

土日とアフターファイブのために

生きてると実感できる時間は、土曜日日曜日、それから平日のアフター5しかない。

それ以外の、働いている時間は、なんだか生きてる心地がしない。

しかしそれも非常に人生を無駄にしているような、勿体ないような気がして、意識改革を断行する。



平日は、土日のために、アフター5のために働いているのだ!
生きているという実感を得る為に、
誰にも縛られない自由のために。

その自由は、簡単に得られるものではない。我慢して苦役を耐えて、その代価として自由を得るか、
工夫して苦役から脱して自由を獲得するしかない。

今は耐えるのみだ。潰されないよう、土日とアフター5にある真の生を楽しむために耐えるのだ。
耐えながらもその苦役からどう逃れられるか、必死に考えるんだ。

考えるには、まずは書いてみろ。日記を。
一日のやるべき苦役を全て終わらせてから、まずは駄文をまき散らせ。